【成約事例】ベイルーム瀬戸
《ベイルーム瀬戸》
住所:横浜市金沢区瀬戸
敷地面積:196.24平米
延床面積:99.78平米
構造:木造2階建て 6戸
用途地域:第1種中高層
建ぺい率:60%
容積率:150%
上行寺
上行寺(じょうぎょうじ)は、
神奈川県鎌倉市大町に所在する日蓮宗寺院で、
山号は法久山、院号を大前院といいます。
創建は正和2年(1313年)で、開山は日範上人。
本尊は三宝祖師。癌封じの寺として知らています。
本堂は1886年(明治19年)に
名越の妙法寺の法華堂を移築したものといわれており、
堂内には日蓮上人像や開山の日範上人像、
水天像などが安置されているほか、格天井には花鳥の絵、
欄間には十二支の彫刻が施されています。
境内には万病、特に癌に効があるといわれている瘡守稲荷堂や、
大小の鬼子母神をまつる浄行堂があります。
また、山門には左甚五郎作といわれる竜の彫物が、
本堂の表欄間や梁などには
熊本藩の大名細川氏による竜の彫物があります。
万延元年(1860年)、
桜田門外の変で大老の井伊直弼を襲撃した
水戸浪士の一人である広木松之介は、
鎌倉へ逃れた際に上行寺にかくまわれたというが、
同志が刑死した事を知り、
後文久3年(1863年)の3月3日に切腹したといいます。
境内墓地には松之助の墓があり、
1916年(大正5年)には石碑が建造されました。
泥牛庵
金沢区役所発刊『金沢の寺社』によると、
泥牛庵(でいぎゅうあん)は円覚寺の末寺で、
南山士雲によって創建されたと云われています。
その後、室町時代後期に衰退・廃絶していく
多くの鎌倉寺社同様、泥牛庵も衰微したようですが、
承応二年(1656)に亡くなった習補玄道に復興されています。
が、それも束の間、金沢藩(のちの六浦藩)の陣屋が
置かれるために移転を余儀なくされました。
その後、文化二年(1805)に再び復興され現在に至るそうです。
平潟湾
平潟湾(ひらかたわん)は
横浜市金沢区(一部は横須賀市)にある、
長さ1キロ、幅0.3キロほどの入り江。
湾口には野島(金沢区野島町・乙舳町)があり、
現在はその南側の野島水路と
北側の野島運河を通じて東京湾に繋がります。
鎌倉時代には鎌倉の外港として栄えた。
古くは現在よりはるかに広く、
北岸の瀬戸(瀬戸神社付近)からさらに奥の泥亀付近、
また西側の六浦方面も入り江になっていました。
野島は北側の平潟町に繋がる陸繋島であり、
その南側の現・横須賀市夏島町も
夏島(夏島貝塚で有名)・烏帽子島を除き海でした。
江戸時代には周辺が景勝地として知られ、
特に「金沢八景」の1つに「平潟落雁」が挙げられています。
金沢シーサイドラインは
金沢八景駅・野島公園駅間で平潟湾を横断しています。
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